2015年08月08日
ヒロシマ!!!
8月6日朝8時、私はテレビの前にしっかり座って、NHKの平和記念式典を観ました。
すでに陽は高く、70年前のお天気のような快晴です。
広島市長松井一実氏の平和宣言に、子供代表の言葉に、目頭が熱くなりました。
夫の伯母は被爆者手帳を持っていましたが、気丈で弱音を吐かなかった人でしたが、晩年その後遺症に悩まされていたようです。
私には、腕など露出部分の被爆のケロイドを見せてくれましたが、本人のみが知る傷は目に見えるところ以上に大きく深かったに違いありません。
私の父は保険会社に勤めていて、終戦直後、広島に長期にわたって出張していました。被災された方たちに保険金を支払うためですが、事態が事態だけに、書類が無くても善処したと言っていました。
その当時は、お米を持参しないと旅館に泊めてもらえず、町の中を歩いていたら、石の建物に人が腰かけて座っていた姿が影となって残っていた・・・など、生々しい話を子供のころに聞いたことを思い出しました。
今は故人となられました書家の栗原蘆水先生から直接伺ったお話です。先生は、確か昭和7年のお生まれで、原爆投下された当時13歳の中学1年生、学徒動員で、亡くなられた夥しい遺体の処理に当たられたそうです。
私は戦争が終わってから生まれ、平和な時代に育ち、現在まで不自由なく過ごしてきました。
小学生の時、社会科の時間だったでしょうか?、先生が今も地球のあちこちで戦争がある!と耳にした時、まったく理解できませんでした。
私の世代だけでなく若い人々すべてに、核兵器のない、戦争のない世界が未来に向かって開かれることを願ってやみません。

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